IF(ではない)

人と人との繋がり、と書かれた文字の「人」の部分をマーカーで塗りつぶした。

■と■との繋がり。

ノートを閉じる。

マーカーを食べる。

私はベッドに身を投げた。天井を眺めると、大きな白い蜘蛛がこちらを見ている(私が自意識過剰なだけかも)

「こんばんは」

一瞬、蜘蛛が私に話しかけてきたのかと思ったが、よく考えてみればそれはただの着信音だ。

こんばんは、こんばんは、こんばんは。こんばんは、は速度を変える。

ゆっくりとしたこんばんは。死人の鼓動のこんばんは。猫の寝息のこんばんは。

いけない。

朝打った点滴が効いているんだろう。それは私の気を狂わせる。猫の毛とオレンジジュースが主成分。

「もしもし」

「コードネーム『キラーホエール』、新しい仕事だ」

この声は聞き覚えがある。数年前、ラッコに襲われている所を私が助けた耳江おばあさんだ。

このおばあさんは手のひらサイズの上に気が良いので、貝と石の間に挟まっていた。

「あんたが電話をかけてくるって事は、ついに計画が動き出したのか……」

ある組織のある部署のある机の下の隠し扉、そこには盆栽倶楽部があった。もちろんそれは通称で、実態は生花倶楽部である。

「面白くなってきたー!」

私はスマホを窓から思い切り投げ捨て、住宅街を落下するそれ、それを懐に隠していたチャカで撃ち抜いた。

閑静な住宅街という概念が非常に嫌いなので。

「夜は長い!」

夜だろうが小さい声で喋ると思うなよ。お前はそういう所がダメなんだ。主義を通すっていうのは、どんな時もボタンを掛け違えない事なんだぜ。

想像上の愚鈍に罵声を浴びせた所で、私はミッションを遂行するための下準備を始めるとした。

アタッシュケースにものを詰め込んでいく。

歯ブラシセット、パジャマ、皆で食べるお菓子、好きな映画のDVD、枕が違うと眠れないので、それも。

私はこの日を待ち望んでいた。それはもう、数日前から眠れない程に!

「皆、久しぶりに会うけど、変わりはないかなあ」

旧友に思いを馳せていると、どこか遠くで人の悲鳴が聞こえた。おそらく声からして、28歳ロシア人男性中肉中背趣味はアニメ鑑賞だろう。

「現場に行ってから助けるかどうか決めよう」

アタッシュケースを左手に、右手にはデュランダル、口にはバラを咥えて、ばっちり外を出歩ける格好になった。

さあ出発だ。ドアノブに手をかける、が、後方から風が吹き込む。開かれた窓から。

先程スマホを投げ捨てた時、開けたままにしていたのだろう。私は、しまった、と思った。

今日はちゃんと階段を降りて玄関で靴を履きドアを開けて外出したかったのに!

私は呪われているので、自分が考えた事は必ず実行しなくてはならないし、少しでも脳裏に過ぎった事であればなおさらしなくてはならない!

助走をつけて私は窓から飛び降りる。

閑静な住宅街にSEが響く。1秒にも満たない打撲音。

「い、痛い」

打ちどころが悪く、私は潰れた虫にも似た存在へと堕ちた。

アタッシュケースとデュランダルの重さを計算していなかった!

「これが因果」

声のする方を見れば、イマジナリーフレンドが窓枠に腰掛け、私を見下ろす。

「うるさい、私が死ねばお前も死ぬんだぞ」

どこ吹く風、すました顔で彼女は私の言葉を受け止める。彼女は私にとても似ていたけど、全くもって別人だった。

私が血を水であると言うならば、彼女は水を血であると言った。

私は月と太陽の違いが分からなかったが、しかし彼女には分かるみたいだった。

「さてどうするか。私ならお前を助けられるけど」

「たかだか幻覚のくせに、随分と喋りやがる」

立ち上がろう、そうしたくても足は既に破壊されてコアの部分がむき出しになっていた。攻撃されるとダメージを2倍で受けてしまう。

私がコンクリートの上でもだえ苦しんでいるこの瞬間、この時も世界では誰かが生まれ、そして死んでいくんだなあ。

気がつくとイマジナリーフレンドはすぐ横に立っていた。いかなる空想上の物体でも私より頭が高いのは許しがたい。

「それをやめろ」

主語を抜いたので正確に意図が通じなかった。彼女はまばたきをやめた。

「ごめん、まばたきはして良いよ」

一定の間隔でまばたきが再開される。

「お前の目的は何だ?いつも突然私の前に現れて、突然消えていく」

「私はお前の人格を乗っ取ってやろうと思っているんだよ。空想上のお友達じゃなくて。私自身がお前になる」

「方法は?」

彼女は懐からチャカを取り出した。私の額に押し付ける。鉄の冷たい肌触りが、暴力ってものを思い出させてくれる!

視界の殆どが彼女の腕だったし、こういう状態はなかなかないのでクラウドに記憶データを保存した。

「それで私を撃とうって言うのか、ええ?」

「そうだ。死ぬっていうのを感じた事があるか、お前は?」

「は、どうせ生きてなんかないのに。お前なんか私の退屈な妄想でしかない。存在しない銃で風穴を空けられて痛いだなんて、空想が過ぎるね」

「私は生きているよ、お前と共に。しかし最近のお前は酷すぎる。好き勝手に人を殺す」

「いつの話だ?」

*

銃弾が額から後頭部を通り抜けた。

「とても痛いよ」

率直な感想を私は述べる。しかしただの空想で、やはり死ぬに至るものではない。

酷い頭痛の様なものを感じる。嘘の痛みに心臓が脈打っては、8ビート!!

痛みも、流れる血も、私が思う想像でしかない、だからこそ厄介だ。私は死ぬ事もなく酷い苦痛を耐えなくてはならないのだ!

「私にお前の身体を引き渡せ。さもなくば」

額、その撃ち抜かれた箇所に強く銃口を押し付ける。傷口が冷える。流れる血で目を開ける事も厳しくなっていた。

「何度でも繰り返す」

「お前みたいな頭のおかしい奴の言う事を聞くと思うか?」

*

*繰り返し)

*繰り返し)

私は腕を動かす、右に40、上に50の地点。血を手で拭い、目を開けばデュランダルが確かに心臓を貫いた。

私が思うから彼女が存在するのであれば、私が思う場所に彼女は存在するわけだ。考えてみれば、目を閉じても殺す事は容易である。

彼女は私の上に、覆いかぶさる形で存在する。

「海里、海里、海里、海里」

上ずった声でイマジナリーフレンドは呟く。剣をゆっくり引き抜くと、水が溢れた。これが彼女の身体に流れる血である。

したたる彼女の血は余りにも冷たい。血が手を伝っていく感覚だけは異様に確かだった。銃弾で撃ち抜かれるより、遥かに現実味がある。

まだ彼女は、私の名を繰り返し呼んでいる。なんて哀れな妄想なんだろう、私の中に存在する客観的人格・山中が悲しんだ。

「どけ」

イマジナリーフレンドを右足で蹴り飛ばす。私の近くじゃない場所へ行く。どこかへと行く。

空想に覆われていた視界がクリアになると、夜空が見えた。雲も、星もないどす黒い空。描画されていない空。

月のない黒い空には光がない。

住宅街では狼が吠える。バウリンガルで訳すと、「リンス買い忘れないで」という意味である。

「これでおしまいって事にしない?」

「嫌だよ」

「主導権を握っているのは私だ。お前は所詮空想に過ぎないし、遊ぶルールは私が決める」

「私は本当になりたかったよ。お前は一切私を認めなかった。私の名前だって呼んではくれない!海里、どうして私は居るの。何のためにここに居るの。お前が想うからではないのか?空想って、どこからが嘘で、どこからが本当なの」

「お前は嘘だ」

「私は嘘だよ。嘘だけど、嘘を嘘だと言って何が楽しい?私はただ、お前の価値観何もかもを変えたかったよ」

空想の存在はいつまで経っても死なない。声だけで長ったらしく己の主張を続ける。言葉の全ては耳元で叫ばれた様に響いて、私の気を害した。

「お前は間違っている、本当は罪を罰して欲しいと思っている、寂しいと思っている、いつになったらそれを認めるか?」

たわごとを続ける。もはや「イマジナリーフレンド」とも「彼女」とも形容したくはない!強いていうならば、人畜だ!

「うるさい、人殺し!」

声を張り上げる!

私自身も確かに人殺しであったし、この人畜自身、私を殺そうとした人殺しであった。空想の人間は結局の所、想像する人間の脳みそを超えない。

私が暴力で何かを解決する様に、私が考える善人も暴力で何かを解決しようとするのだろう。

「私がお前を止めてやる」

声色のひとつひとつが歪む。私の声、あいつの声、今までの響きが分からなくなる。

ゆっくりと首元に手がかかる。これは間違いなく私の指先であったが、到底自分のものとは思えない。

思考は酷く回っていて、しかしその全てが今現状と一切関係ないモノローグばかりで埋め尽くされる。

「何故この世から戦争がなくならないのか」

「何故この世から差別はなくならないのか」

「何故この世から病気はなくならないのか」

「何故この世から死はなくならないのか」

頭に流れ込むのは神の思考。しかしそれは認識違いの錯乱した脳が見せる幻聴である!

何故この世から私はなくならないのか!

息だけが口を通る。首が締まっていく感覚は、圧迫感とは異なり針で刺される様な強い痛みだ。

これも妄想の一種であるならば、私は酷く自罰的な善人であろう!

声が聞こえる!

声が聞こえる!

それは粗雑な、汚い、音の羅列としか聞き取れない!

目を一度閉じると開けられない様に、一度道を踏み外すと戻れないものであると人々は考えるが、

それは間違いである。人間は他人などに誰も興味を持っていない。

(間奏65秒)

それからしばらくして、姉さんがやってきた。

風呂上がりらしくパンツしか履いておらず、胸部のヒグマに襲われた時の傷がまだ残っていた事に悲しみを覚える。

「海里、夜中に足のコアをむき出しにしたらダメでしょ。最近物騒なんだから」

姉さんの声を聞くと、僅かに意識が戻ってくる。身体の主導権が戻ってくると同時に、耳障りな音も遠のいていく。

首もとの手が僅かに緩んだ、その瞬間に私は自分の腕を削ぎ落とす。

どうやって?

「やっぱり、現実の痛みの方が大したことないな」

血が止めどなくあふれる。色は、赤だ。それに安堵する。粘ついた嘘臭い彩色が血溜まり(後の琵琶湖)を作る。

「病院行く?」

「いらないよ」

 

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